ページの先頭です。
本文へジャンプする。
ここからサイト内共通メニューです。
サイト内共通メニューを読み飛ばす。
サイト内共通メニューここまで。
ここから本文です。

イプシロンで宇宙への敷居を下げる
〜最高の使い勝手と乗り心地で世界と勝負


イプシロンロケット
前プロジェクトマネージャ森田 泰弘

画像:イプシロンロケット

ペンシルロケットから続く日本の固体燃料ロケット技術は、M-Vロケットという集大成を作り上げた。その後継機として開発が始まり、2013年に試験機の打ち上げに成功したイプシロンロケット。開発プロジェクトを率いてきたJAXAの森田泰弘イプシロンロケットプロジェクトマネージャに、プロジェクトマネージャ(プロマネ)の仕事やロケットの未来像などについて、詳しく聞いた。

ロケット開発は野球に似ている?

--イプシロンの一番のアピールポイントは何でしょうか。

それはやはり、「未来を拓くロケット開発」ですね。これまで、ロケットを最もシンプルに打ち上げられる仕組みを考えて作ってきました。一番目立つのは自律点検やモバイル管制といった部分ですが、それ以外にも、ロケットを作る仕組みもシンプルにしようとしていて、試験機(初号機)でも次に打ち上げる強化型でも挑戦を続けています。目指している究極の姿は、まるでプラモデルみたいに簡単に作れるロケットです。

--プロマネの仕事とは、どんなことをするのでしょうか。

ロケットのコンセプトを決めて具体的な設計仕様を固めるところから始めて、仕様に合わせてモノを作って打ち上げるまで、そのすべてにわたってみんなをリードすることです。もっと簡単に言うなら、ビジョンを示し、みんなの気持ちをひとつにまとめ、大きな目的を実現することですね。
私は「マネージャ」という肩書きですが、個人的には、「リーダー」というイメージをもっています。誰かから与えられたものを実現するのではなく、未来の姿を想像して、いま何をやるべきなのか考える。そしてチームを一丸にして、とても一人ではできないような大きなことを成し遂げる。それがプロマネの醍醐味です。
プロマネというのは、例えて言うならば、野球の監督のようなものです。技術に関しては、それぞれのポジションに専門家がいる。チームの方針さえ徹底していれば、細かいことまで全部指示する必要はありません。チームの一人ひとりが自分で考え行動する。能動的に動けるチーム作りが大切です。そういうチームは強い。どんどん成長する。イプシロンチームには、そういう"選手"をサポートする指導的な立場の"コーチ"も揃っています。サブマネの井元さんは、さしずめ私と二人三脚の"ヘッドコーチ"といったところです。こうしてイプシロン開発では、イプシロンが進化するだけではなく、チームも同時に成長していく。プロマネにとって一番うれしいところですね。

--本当に野球のチームのようですね。

私は中学・高校と野球一筋。甲子園の夢は遥か彼方でしたが、チームスポーツをやっていて良かったと思うのは、決して一人では勝てないということを、身にしみて叩き込まれていることですね。いまのチームは、JAXA内でも屈指だと思っています。本当に優秀な人が集まっている。みんな自分達の未来は自分達で切り拓くという、強い気持ちを持っている。

現役選手であることへのこだわり

--森田先生は研究者でもありますが、研究の時間はあるんですか?

はい、休日の自分の時間は研究のために使っています。もちろん、イプシロンやロケットの未来に関するテーマです。

--選手兼任監督みたいですね。

そんな感じです。自分で研究しているからこそ、いろんなことが分かるというのはあります。私は誘導制御が専門ですが、自分の研究テーマを膨らませようとしたら、様々な分野について勉強する必要があります。一見関係ないようなことでも、100回に1回くらいは閃いて、ロケット開発に繋がったりする。
専門を追求していくと、いくつも壁が出てきます。研究活動とは、その壁の向こうに何があるか探るような作業のことです。そういう研究の習慣が身についていると、開発でも何でも新しいことをやるときには必ず障害があることが直感的に分かる。別の作戦を考えた方がいい障害なのか、それともみんなの力で乗り越えられる障害なのか。そこは研究者の直感です。それを間違えると、大変なことになる。チームが全滅とか。

--責任重大ですね。いろんな選択肢がある場合、何を重視しますか?

そこはやはり、キラリとした、未来に繋がるような技術の革新があるのかどうか、ということに尽きます。やりたいことはたくさんあって、全部できればハッピーですが、実際には予算やスケジュールや人的リソースの制約が必ずあって、あれもこれもというわけにはいきません。
そんなときは、絶対に譲れないひとつを選びます。これだけは何が何でもやると。イプシロンの場合、それが打ち上げシステムの改革でした。イプシロンの開発も言い難い紆余曲折がありましたが、そこは何があっても譲れなかった。そういうものが無いと、誰が作っても同じような、平凡なロケットになってしまう。そんなものは作る意味がありません。

どん底の3年間で見えた未来への光

--イプシロンのコンセプトは明快ですが、いつどこで生まれたんですか?

あの3年間です。M-Vロケットが廃止されてからイプシロンの開発が始まるまでに、3年間の空白がありました。M-Vは小惑星探査機を打ち上げられるほどの固体燃料ロケットで、性能的には世界一と言われていました。世界一のロケットを越える新しいロケットはどんなロケットなのか。すぐに答えが出るわけはないですよね。暗中模索の時期があったわけです。
このとき、みんなで考えて考えて、考え抜いた。その答えがイプシロンです。今までのロケットは、ロケット本体だけ、マシンの性能しか考えていませんでした。しかしイプシロンで初めて、次元を変えて打ち上げシステム全体を見ることができるようになった。世界一コンパクトな打ち上げ方にするんだ、と。その答えに辿り着くのに3年かかりました。
最初の1年目は、M-Vに愛着がありすぎたために、M-Vの残像から抜け出すことができませんでした。どうしても、発想がM-Vとの比較になってしまう。でも、やがて過去ではなく、未来に頭の中が切り替わる瞬間があった。それから、みんなで未来のロケットについて考え始めたのです。やっと、「もうM-Vは卒業するんだ」と思えるようになりました。さすがに、ちょっと寂しかったですが。

画像:

--必要な3年間だったということですね。

はい、今にして思えばそうですね。内心、腐りかけたときもありましたが、運が良かったと思います。ちょっと大げさですが、M-Vが廃止になったことで、いい意味で頭の中が白紙に戻った。あのときは、先頭に立っていた私ですら40代後半で、大半の人は20〜30代。若い人が自由に考えることができました。
このときイメージした未来のロケットというのは、たとえば飛行機のような身近な存在です。まだ現実には生まれていませんが、何度も使えて、すぐに打ち上げられるロケット。再使用できたとしても、スペースシャトルみたいに、次のフライトまで時間がかかりすぎては意味が無い。簡単に飛べる仕組みが必要なのです。
究極にはそういうロケットを作ろうと思って、我々は頑張っているわけですが、そういう未来を切り拓くためにいま何が必要なのか、逆算して考え出した答えがイプシロン。そういう発想に至るのに3年かかったというわけです。

お茶の水博士になりたかった少年時代

--森田先生が宇宙を志したきっかけは何だったんですか?

私は昭和33年生まれ。物心ついたときはSFが全盛でした。当時、子供達の夢は、プロ野球の選手になるか、お茶の水博士のような科学者になるかの二択。私は中学・高校時代は野球選手としての成功を夢見ていたわけですが、子供の頃は、鉄腕アトムのように知能を持ったロボットや、サンダーバードのようにボタンひとつで飛んでいくロケットを作りたいと思っていました。そんな私にとって、イプシロンは小さい頃の夢の集大成。最高傑作なんです。
もっと現実として宇宙を考え始めたのは、大学に入ったころですね。このとき、宇宙科学研究所(当時の東大宇宙航空研究所)が、ハレー彗星の探査計画を発表したんです。そのころ、米国はボイジャーやパイオニアなどの探査機を飛ばしていましたが、日本は全然そういう雰囲気ではなかった。でもついに日本にも惑星探査の時代がくるんだと、これには本当に痺れました。しかも、ロケットは純国産の固体燃料ロケットだという。ダブルパンチでしたね。
そして大学院の学生になり、念願かなってロケットの打ち上げ実験に参加することができました。実はそれがハレー彗星ミッションだったんです。打ち上げるロケットはM-Vの先代のM-3SIIで、このロケットの誘導制御が私の修士論文の研究テーマにもなったのです。
ところで、このとき内之浦でいざ打ち上げという瞬間に、私がどんな気持ちだったか分かりますか?

--「自分が関わった部分は大丈夫かな」でしょうか?

宇宙研に入ってからは、もちろん責任感の重圧から、発射の瞬間までそのように自問自答を繰り返すようになりました。しかし、当時はまだ学生だったのでもっと感傷的なものでした。「ぼくの青春をかけたこのロケットがついに上がってしまうのか…もう少し一緒にいたい」。そんなことを感じていたような気がします。なにしろ、私を宇宙開発の世界に導いてくれたロケットですから、自分の分身のように可愛かったわけです。すると本当に発射直前で止まってしまって……。皆さんもよくご存じのとおり、これは痛恨のデジャブとなりました。皮肉にもイプシロン試験機の打ち上げのときも、発射の19秒前に緊急停止したのですから。

--今度はプロマネという立場なので、大変だったのでは。

はい。プロマネとして大いに反省すべき点がありましたし、しかもイプシロン自慢のモバイル管制のところで起こったわけですから、なおさらです。一瞬、みんなの微妙な空気も感じました。「こんなことにまで挑戦しなければ良かったのに…」とか。私にとっては、チームの空中分解が一番怖かった。ですから、あのときは、みんなと顔を合わせるたびにこう励まし続けていました。「こういう試練を乗り越えない限り、大きなことなんてできない。みんなで新たな未来を切り拓くんだ」と。チームの心をひとつにしなければいけなかったし、そうでも言わないと、そもそも自分自身ももたなかったんだと思います。

試験機のあともイプシロンの開発は続く

--今までで一番嬉しかったことはなんですか?

それはもちろん、イプシロン試験機が無事に上がった瞬間ですね。あれほどうれしかったことはない。M-V時代に現場で応援してくれたのは、かなりコアなファンのみなさんだけでしたが、イプシロンのときは内之浦に2万人、全国のパブリックビューイングにも大勢の人が応援に来てしてくれました。1回目の打上げが延期になり、辛い思いをしているときには、皆さんの応援の声が大きな後押しになりました。これはすごくありがたかった。みなさんの応援がなければ、イプシロンの成功はありえなかったと思います。つくづく皮肉なことですが、あの延期によって我々は多くのものを得ました。そのなかでも、全国の応援してくださる皆さんと一体となれたことが一番大きかったと思っています。
また我々にしても、M-V廃止後の辛い3年間があって、それからさらに3年がかりでイプシロンを作った。みんが長い時間をかけて積み重ねてきたものが最後の瞬間にひとつになって、見事な成功という最高の形になった。そうと思うと感無量になりました。ロケット開発とは、なんて素晴らしいんでしょう。あれは本当に綺麗な打ち上げでした。何の問題も起こらず、まるで練習のようでした。あれほど綺麗な打ち上げは、M-V時代にも経験がありません。

--喜びが大きかっただけに、燃え尽きはしませんでしたか?

いまでこそ言えることですが、私はほとんど燃え尽きていました。しかし、この夢には続きがあったのです。試験機が成功した直後の内之浦の特別公開に、遠路はるばる東北からお越しの方がいて、こう仰ってくれたのです。「つらいことも多かったけれども、イプシロンの成功に励まされ元気が出た。それを伝えたくてここまで来た」と。励まされたのが私の方であったことは言うまでもありません。私に再びエネルギーが120%充填された瞬間です。
しかも試験機の成功を受けて、すぐに高度化開発の予算が付いて、さらに高性能化を図ろうという新たな開発が走り始めました。それが次に打ち上げる強化型イプシロンです。我々からすると、試験機という大きな山を越えたあとに、また強化型という新たな山に挑戦しているというイメージです。強化型イプシロンにとっては試験機のようなものなので、新たな気持ちと大きなモチベーションで臨むことができます。日々の進化が大切。一日一日が新しい挑戦の始まりですね。
試験機の華々しいデビューに比べると、強化型イプシロンは少し地味な印象に見えるかもしれません。しかし、我々にとっては、むしろ試験機以上に大事なステップです。例えば、強化型イプシロンでは、部品の数を減らしたり、ロケットの作り方を工夫したりして、ロケットを簡単に作るための技術の革新にも挑戦しています。これからのロケットの発展に必要な改革の次の一歩です。地道な取り組みが、未来を拓くという意味でとても大切なのです。

画像:強化型イプシロン比較図

--強化型の次にはシナジーイプシロンも控えていますね。

すでにH3ロケットの開発が始まっていて、いまH3の固体ロケットブースタ開発と強化型イプシロンの開発がオーバーラップしています。いままでは一方通行でしたが、強化型イプシロンの開発成果はH3のサイドブースタ(SRB-3)開発にも生かされます。そして、やがて完成するH3のサイドブースタをイプシロンの第1段に活用する計画です。最初からそうやって協力しているというのは、とても重要なことです。

これからは宇宙も「おもてなし」の時代

--これからのロケットには何が必要ですか?

ビジネスとして考えたとき、まず重要なのは性能とコスト。高い性能のものを安く売っていく。これが基本ですね。ただし、果たしてそれだけでよいでしょうか。たとえばカメラを買うとき、スペックと値段だけで考えるかというと、違いますよね。持ったときの感覚とか、自分のフィーリングに合うかとか。様々な要素を全部まとめて考えるでしょう。
ロケットも同じです。コストに換算できないような付加価値も含めた総合力。これを我々はユニバーサルデザインと呼んでいますが、これからのロケットには一番大事なポイントになってくると我々は考えています。
つまり、性能とコストの2つだけではなく、いろいろな座標軸でロケットの魅力をアピールしていくのです。単に搭載できる衛星の重さと値段だけじゃないでしょと。そういう座標軸は無数にある。野球でよく見かけるレーダーチャートをイメージしてもらうと分かりやすいでしょう。

--性能とコスト以外は、どんな座標軸でしょうか。

一番大事なのは、ユーザーのみなさんの視点に立ったホスピタリティです。単にユーザーズマニュアルを作って終わりではなく、何がしたいのかよく聞いて、ユーザーの要望にとことんイプシロンで応えていく。こういう姿勢は日本が最も得意とするところだと思います。宇宙もこれからは「おもてなし」の時代です。やがてその良さにみんな気づくでしょう。
そういってもピンと来ないかもしれませんが、出発点は使い勝手のよさというふうに考えるとわかりやすいでしょう。例えば、イプシロンは高い精度で、狙った軌道に衛星を投入できます。この軌道に入れたいと言えば、イプシロンがピンポイントで届けてくれる。するとお客さんは楽ですよね。こうした使い勝手の良さがイプシロンの強みです。
そして衛星の乗り心地。ロケットのフェアリングの中は、振動・衝撃・音響が厳しくて、決して快適な環境ではありません。そんな過酷な打ち上げ環境に耐える必要があるため、衛星を作るのは大変です。これが宇宙への敷居が下がらない大きな要因のひとつにもなっています。
しかしイプシロンはすでに、音響と振動は世界最高レベルを実現。今後、H-IIAロケット30号機で実証した低衝撃型の衛星分離部をイプシロンの3号機に搭載する予定です。これで衝撃も含めた3つが世界最高レベルになります。これからは、衛星を作るのにあまり特別なことを考えなくても良くなるので、いろいろな人が宇宙に挑戦できるようになります。
ユーザーのみなさんにとってさらに使い易いロケットにするために、強化型イプシロンでは打上げ能力の増強と衛星搭載スペースの拡大も図っています。こうして、宇宙への門戸をさらに広げていきたいと考えています。
もう一つの大事な座標軸は、宇宙ロケットの未来という観点です。自動・自律点検やモバイル管制などでロケットを打ち上げる仕組みを改革し、さらにロケットを製造する仕組みの革新を目指して新たな技術を開拓しているところは、イプシロンが世界に胸を張れる大切なポイントだと言えるでしょう。

失敗を恐れずに挑戦していこう

--最後に読者の皆さんへのメッセージをお願いします。

若い人たちには、いろんなことに興味を持って、いろいろなことに感動し、その中から自分の夢(好きなこと)を見つけてほしい。そして、運良く自分の夢を見つけることができたら、それを実現できるよう、粘り強く挑戦を続けてほしいと思います。大事なのは「感動と粘り」。要は、好きなことに打ち込むことです。私も大好きなロケット開発をやっているからこそ、日常の小さなことにも喜びを見出せるし、大きな試練にもくじけないですむ。JAXAの若手にもいつも言っているんですが、モチベーションのレベルを何段階も上げて、新しい挑戦にどんどん取り組んで欲しい。挑戦の過程では、当然失敗もある。それを乗り越えるための手助けはいくらでもするよ、と。

--挑戦が足りないというのは日本全体を見ていて思いますね。

「失敗しちゃいけない」というプレッシャーが大きいのでしょうね。私ですら「失敗したらどうするんだ」という恐怖と常に戦っています。でも、失敗するかもしれないような大きな挑戦に挑み、特別な情熱でそれを成功に導く。そこにこそ宇宙開発の発展のカギがあるのです。
「固体燃料ロケットの遺伝子はチャレンジ精神」だと言っていますが、実はあれは綺麗事ではないんですよ。日本の宇宙予算は、米国や欧州に比べると、桁が変わるほど少ない。そういう状況の中で、できることだけをただ淡々とやっていたら、どうなるか。その成果は誰の目にも見えません。世界の先を行こうと考えたら、世界の常識を覆すような大きなことに挑戦していかないとダメです。尻込みしている場合じゃないんです。
そういう背水の精神で我々はずっとやってきました。それを綺麗な言い方にしたら「チャレンジ精神」になったというだけの話です。

--強化型イプシロンの打ち上げを楽しみにしています。

私はアポロやボイジャー、そしてハレー彗星ミッションなどに夢を与えられて、宇宙開発の道に進みました。今度はイプシロンで、我々が皆さんに大きな夢をお届けしたい。今後も引き続き、応援いただければ幸いです。

(取材日:2016年7月)

プロフィール

森田 泰弘 (もりた・やすひろ)

JAXA第一宇宙技術部門 前イプシロンロケットプロジェクトマネージャ
宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授
M-Vロケットのシステム設計と誘導制御系の開発に携わった後、プロジェクトマネージャとして、同ロケットの打ち上げを指揮。
2010年4月より現職。

関連情報

インタビュー一覧

本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:宇宙から見た地球を紹介 地球観測研究センター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
ページTOP