COLUMN ~私とH-IIAロケット~

江口 昭裕
現所属:
OB(2015年3月定年退職、2020年3月再雇用退職)
当時のH-IIA担当業務
名古屋駐在員事務所に在任中、2003年11月29日(土)に打上げられたH-IIA6号機の失敗に遭遇し、事故調査チームに加わった。
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
H-IIAロケット6号機は、右側の固体ロケットブースタ(SRB-A)が分離できず、指令破壊処置によりフィリピン沖に没した。翌30日(日)の朝、
フリーのジャーナリストがうろつく名古屋駐在員事務所ビルのロビーを私服姿ですり抜け、MHI飛島工場に行き、SRB-A分離火工品システムの誤結線がなかったことを調査した。
その後、原因はSRB-Aの燃焼中にノズル壁がエロ―ジョンにより破れ、横に噴出した燃焼ガスが近接した分離用導爆線2系を同時に炙り、機能不良となったことが判明した。
分離導爆線に空間冗長が採られていれば、分離できていた可能性があった。しかし、ロケットが故障しても指令破壊装置が確実に作動し、最後の安全化手段が確保できたことに大いに安堵した。
この結果を受け、SRB-A分離システムは空間冗長を有する配置に変更され、合わせて、指令破壊システムも、セーフアーム装置1個を2個に分けるなどして、完全独立冗長システム構成に強化された。
その後、退職するまでの7年間、ロケットのシステム安全設計評価業務に従事したが、指令破壊システムの完全独立冗長化と可能な限り空間冗長配置とすることを最重要基準として安全審査に臨んだ。
イプシロンロケットは小型であるため、基準を達成できない部分もあったが、システム安全評価には常にこの方針で臨んだ。
H-IIAロケットは6号機失敗後の対策により、世界で最も安全なロケットに生まれ変わった。システム安全評価業務の7年間、心配することなく、安心していられる素晴らしいロケットであった。
H3ロケットもH-IIAロケットの安全設計を引き継いでいることだろう。