COLUMN ~私とH-IIAロケット~

石川 主税
現所属:H3プロジェクトチーム
当時のH-IIA担当業務
2006年にJAXAに入社後、種子島に3年間配属し、H-IIA・F10からF16まで、射場作業に参加。その後、H-IIA高度化プロジェクトを立上げ、その機能を用いてH-IIAで初めて海外の商業衛星を打ち上げた。
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
■入社当時のH-IIA打上げ業務
私がJAXAに入社した頃、H-IIAロケットの打上げ業務はまだJAXAの手によって行われていました。ロケットを組み立てるたびに、つくばから先輩方が颯爽と現れ、メーカーさんの作業を監督。
私はというと、種子島に配属され、毎回のようにその現場で先輩に設計思想やトラブル対応の極意をたたき込まれる、そんな濃密なOJTライフを送っていました。
中でも今でも鮮烈に覚えているのが、H-IIA F11号機。初の204型(SRB-Aを4本も装着!)ということで、現場の空気はピリピリ。
慎重に慎重を重ねて組立作業を進め、さあ燃料も注入完了、いよいよリフトオフ……という瞬間にまさかの延期決定!打上げ管制室にいた私たちは、理由が分からず一瞬ポカン。
実は、雷を呼び寄せかねない雲が観測され、安全のために中止とのこと。そこからの燃料抜き作業にどれだけ時間がかかったことか……。
しかも、最終的にロケットを元の格納庫へ戻す作業が私の担当。あの日は、心身ともにヘトヘトでした。
■H-IIA高度化プロジェクトの担当
その後、私にとって忘れられない一大プロジェクトが始まります。それが「H-IIA高度化プロジェクト」。
日本で初めて海外の商業衛星を打ち上げるという、夢のような挑戦でした。このプロジェクト、当初はまるで今のH3のような壮大な構想だったんです。
でも現実は厳しく、JAXA内での評価やお財布事情(予算です…)を経て、結果的には1/4スケールのミニマム構成に。その過程で、あまりのストレスから十二指腸潰瘍爆誕!
とはいえ、既存のH-IIA 2段ロケットに手を加えて、運用と開発を同時進行させるというのは、なかなかのチャレンジ。
しかも、新技術の導入にあたっては飛行データが必要なので、飛行しながら小出しで実証していくスタイルでした。
たとえば21号機では、水素タンクを真っ白に塗装して蒸発量を測定。24号機では、エンジンを再び点火する前にターボポンプを冷やす新しい仕組みを試してみたり……。
まるで打ち上げのたびにミッションが追加されるRPGのような感覚でした。
これらの成果は、はやぶさ2を載せた26号機にも生かされ、そして満を持して29号機で全ての機能を一括実証。しかも、初フライトなのにいきなり海外の商業衛星(カナダ製)を搭載!これはもうプレッシャーMAXでした。
技術陣以外にも、営業や法務など、社内外のさまざまな人の力が結集し、見事成功。衛星分離のアナウンスを聞いたとき、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。
■マネジメントスキルの礎
このプロジェクトを通じて学んだのは技術だけではありません。トラブルへの向き合い方、リスクの見極め方、スケジュール管理、関係者との連携――これら一つひとつが現在の私のプロジェクトマネジメントの基盤になっています。
■H-IIAロケットへの思いと50号機への期待
H-IIA高度化プロジェクト完遂後は、一度燃え尽き感があり「後はもう民間で…」という気持ちになりましたが、その後もH-IIAは国内外の人工衛星や探査機を次々と打ち上げ、ついに50号機に到達しました。これまで支えてくださった皆さんには心から感謝いたします。
世界に目を向ければ年間100機以上を打ち上げる国々がひしめく中、私たちもさらなる努力が求められています。H3の完成度を高め、世界と堂々と肩を並べられる日を目指しつつ、H-IIAのラストミッションが華々しく幕を閉じることを心から願っております。

苦労して組み立てたH-IIA・F11(204) 4本のブースタが取り付けられました。
(緑色のクッションは作業用の保護カバー、オレンジ色の服は耐火服、よく見ると、衛星のマスコット:きく・はちぞうくんを持っています)

リフトオフ直前まで、天候改善を狙いましたが、残念ながら延期。機体返送のため気合を入れています。

29号機のロングコースト仕様の2段の機体。水素タンクは蒸発量を抑えるため、白色塗装を行っています。