COLUMN ~私とH-IIAロケット~

寺岡 謙
現所属:イプシロンロケットプロジェクトチーム
当時のH-IIA担当業務
1998年9月宇宙往還技術試験機(HOPE-X)プロジェクトチームからH2Aアビオニクス(計測通信系、電力電装系) 機器開発業務の併任を皮切りにコンポーネント開発試験/試験機1号機工場試験/射場システム試験/極低温点検を経て7号機までの打上げ作業等に従事。 途中、6号機失敗をうけRTF(7号機)への設計変更対応開発も担当。2005年4月から種子島宇宙センター発射管制課に所属、14号機打上げまで間、設備運用・整備に従事、H2A打上げ民営化に向けた運用技術移転関連業務を担当。 2008年4月以降、要素技術センター、基盤技術開発ユニットなどに所属、H2Bロケット及びイプシロンロケット搭載機器の開発の傍ら今回のH2A最終号機に至る計測通信系機器の部費枯渇対応開発も担当。
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
GTV、F-0、TF#1射場整備作業では、連日不具合対応に追われました。
私は計測通信系機器の担当だったので計測データにノイズが重畳、計測ポイント・アイテムが異なる、センサ信号が見えない、
テレメトリ・コマンド信号の受信レベルが変動するなど点検毎に機器単体或いは他機器インタフェースに関する多数の不具合が発生した。
その対応もあり、種子島出張中の宿泊先に帰りつくのはいつも午前様、帰ったあとメーカ技術者と数時間に及ぶ原因・対策など反省会を経て数時間後に出勤する日々でした。
今振り返ると当時の打上げに対する熱意と体力は無限にあったのではないかと想うがそれ以上に打上げ成功に向けた関係者の執念が勝っていたと考えるべきなのかもしれない。
H2A搭載機器には機体コストダウンのため積極的に国産・海外民生品を使用した。
特に搭載カメラ及び映像伝送系機器など技術テレメータ機器で多く、その象徴として、家庭用の量産ハンディカムの撮像基板を搭載機器に、再生基板を地上設備に分離して実装、H社としてロケット搭載デビューを果たした。
当該装置は、1段、2段にカメラを搭載、SRB-A/1段/フェアリング/衛星分離、LH2タンク内の液面挙動など打上げ時のイベントを視覚的に提供、ロケット、
衛星分離時にコンタミ等を捉えるシーンもあったが打上げの成否を確認する術の一つとして貢献した。
残念ながら、18号機以降主要部品が枯渇、生産辞退となったが、再開発時の画像処理ソフトウェアに関するリバースエンジニアリング(パラメータ最適化のチューニング)においては
多大な協力をいただきH2B試験機1号機の飛行実証に間に合わせることができた。
また、1段に搭載したSHF帯の技術テレメータ送信機には、衛星通信地球局用送受信ユニットをそのまま実装、1段、2段、SRB-Aの音響、
振動等の高速サンプリングデータとSRB-A分離映像を取得するとともにロケットシステムとしての設計検証等を18号機(H2Bでは3号機)で終えることができた。
H2A高度化開発では、N-I時代から真空管が実装されたレーダトランスポンダが射点近傍でも使用できる航法装置に完全置換され、地上精測レーダ局なしで打上げ機体位置、速度を同定できるようになった。
当時、真空管の需要は減少の一途を辿るなか、手作りで安定した特性が得ることが難しくフェーズアウト末期にはその使用可否(特性良否)判断に手を焼いたこともあった。
H2Aでは打上作業管理システムを開発、それまでのH-I/H-II/J-Iロケット等の打上げ整備では機体のテレメトリデータ処理は現地(B/H)で実施していたが、
当該システムの導入によって、遠隔の地でも、PCにてテレメトリデータをリアルタイムでモニタ、グラフ化できるようになり、
また、手順書も電子化され、関係者との情報共有がタイムリー且つスムースに行われるようになり作業効率も向上した。
射場での試験及び飛行結果の確認、不具合事象の把握などPC上で実現できる画期的システムであったことからイプシロン/H3ロケットなどの射場整備作業にも引継がれ、
今後、遠隔地からの打上げ制御などにも大いに寄与すると考えられる。
最後に、私は今年3月末に定年という節目を迎え、H2Aは間もなく退役する。
世がアナログからデジタル社会へと移り行く中でそれを支え通算50機、最後の打上げとなることに強い共感を覚える。
既にH3もデビューを果たし、基幹ロケットとして大きな役目を終えることを大変うれしく思う。
私自身社会人生活の半分をH2Aと共に歩んだこと、誇りに思うとともに生涯忘れることはないだろう。本当に長い間ご苦労様でした。

TF#1打上げ当日機体移動後吉信射点第2カメラ棟に
SHF技術テレメータ簡易受信局の整備を終えB/Hへ帰還途中のワンショット