COLUMN ~私とH-IIAロケット~

寺島 啓太
現所属:宇宙輸送技術部門 H3プロジェクトチーム
当時のH-IIA担当業務
1999年にJAXA(当時NASDA)に入社以来、H-IIAロケット開発後半からの機体構造・機構・火工品開発および初号機~12号機までの射場整備・打上げに従事するとともに、 13号機以降は民間移管後の信頼性向上、部品枯渇/不適合対応、などに継続して携わり、長年H-IIAと共に歩んできました。
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
入社当時、右も左もわからない状態でH-IIA開発後半の修羅場に機体構造・分離機構・火工品等の開発担当として加わることとなり、必死で先輩方についていく日々でした。
開発終盤までなかなか開発がうまく行かず苦労したSRB-Aの結合分離機構開発は、H-IIA初号機に間に合うかギリギリのところで、何とか仕上げることができましたが、
初号機打上げでSRB-A分離が確認されるまでのドキドキ感は今でも覚えています。
H-IIA 6号機の失敗後も、本当に修羅場でした。その時は、SRB-Aが分離しなかったという事象に対し、自分が担当する分離機構や火工品も要因候補として関係する中、連日連夜の検討と議論、資料作成が延々と続きました。
体力も気力も限界で、くじけそうになりながらも、何とか原因究明と対策立案を、JAXAとメーカの技術者が一体となってやり遂げ、
Return to Flightとして7号機の打上げを成功させられたときの安堵と達成感は何とも言えないものでした。
開発や実機製造でトラブルが発生して苦労した部品やコンポーネントは他にも山ほどあります。一つ一つは本当に大変だった思い出ばかりなのですが、そのたびに色んな事を考え、関係者が力を合わせ、
知識や経験を総動員して解決してきたことはロケット技術者として本当に貴重な経験で、今の自分の糧となっています。
それらの集合体として今のH-IIAロケットがあるわけですから、H-IIAロケットには自分を育ててくれたロケットとしての愛着と、自分も打上げ成功に貢献してきたロケットとしての誇りを感じています。
そんなH-IIAもいよいよ50号機、最終打上げということで、寂しさも感じますが、後を引き継ぐH3ロケットを開発して無事にH-IIAを退役させられることの嬉しさもまた感じています。
H-IIAロケットの開発から打上げ・運用を通して、自分を指導し育ててくれた方、一緒に困難を乗り越えてきたJAXAやメーカの方々、種子島で打上げ成功後に立場関係なく乾杯して一緒に酔いつぶれた仲間たち、
そんな懐かしい皆さんの顔を思い浮かべながら最終号機の打ち上げ成功を見守りたいと思います。

H-IIAの、とある号機のフェアリング系の作業完了後に、作業に携わった皆で。