COLUMN ~私とH-IIAロケット~

福添 森康
現所属:鹿児島宇宙センター 射場技術開発ユニット

当時のH-IIA担当業務

H-IIA初号機より2段エンジン・推進系開発担当として4年間(1998-2002)
H-IIA34号機より最終号機までJAXA企画運営担当として8年間(2017-2025)

最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ

H-IIA初号機(2001年8月)では、開発を担当した2段エンジン(LE-5B)が地球を背景に立ち上がった姿を見たときの感動は今でも鮮明に思い出します。
H-IIA6号機(2003年11月)では、情連担当として東京コントロールルームに詰め、指令破壊の修羅場と失敗に真摯に向き合いリカバーした経験は、四半世紀経った今でも自らの原動力になっています。
H-IIA34号機~最終号機では、世の中の取り巻く状況が大きく変化する中、数多くの人が関わる総合システムを担う一員として、すぐには答えが見えない難しいことに何度も向き合い、皆で話し合い、 “宇宙へ行く”というシンプルで究極の達成感や一体感を打上げのたびに経験させてもらいました。
34号機(2017年6月)~39号機(2018年6月)1年間で6機の打上げ
(➡2か月に1回はほんと大変、、、)
40号機(2018年10月)~41号機(2019年2月)宇宙活動法下の打上げ事業者との分担調整・実行
(➡打上げ事業者との責任分界点とは?と何度も問いかけ答えを探し続けました)
42号機(2020年7)~45号機(2021年12月)コロナ禍の下での打上げ計画の着実な実行
(➡閉塞感が漂う中、打上げのたびに希望の光が宿ることを実感)
46号機(2023年1月)~50号機(2025年6月)H3ロケット開発・運用と並行した打上げ運営
(➡H-IIAのレガシーがH3へ繋がっていることを実感)
つまずきそうになるたびに上司、先輩、仲間に何度も助けてもらいました。そして何よりも家族の支えがなければ、H-IIA最終号機の打上げまでたどり着くことができなかったと強く感じています。 “これまでほんとうにありがとう”の気持ちを胸に抱き、最終号機挑みます。

H-IIA初号機 1/2段分離後の第2段エンジン着火