COLUMN ~私とH-IIAロケット~

岡田 匡史
現所属:宇宙輸送技術部門 部門長(理事)

当時のH-IIA担当業務

開発が始まった頃(1996~97年):当時試験機1号機に搭載を計画していた欧州宇宙機関の衛星ARTEMISとのインタフェースなどを担当
試験機1号機打ち上げ前(1999~2001年):対外調整と広報を担当

最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ

1999年にH-IIロケット8号機の打上げが失敗して、H-II計画は中止されました。2機連続の失敗だったことから、とてつもない逆風が吹きました。
当時私は直接の開発担当ではなく、プロジェクトをサポートする企画系の部署にいたのですが、新型のH-IIAロケットによる飛行再開(RTF)に挑戦できるよう、世の中に向けて様々な理解促進の活動を行っていました。 各地でロケットシンポジウムを催したり、メディアの方々にできるだけわかりやすくロケット技術を説明する資料を作る経験も重ねました。 そして、それらの経験を通じて「私たちは皆さんと共にロケット開発を続けている」ということを身に沁みて感じていました。
2001年夏、皆さんの想いと共に試験機1号機が青空に吸い込まれていった姿が今でも思い出されます。

のちにH3ロケットのプロジェクトマネージャを務めさせていただきましたが、このH-IIAでの経験がいつも頭の片隅にありましたし、今でも私の原点だと思っています。

極めて高い信頼性をもってH-IIAロケットの打上げを続けてこられた関係者の皆さん、本当におつかれさまでした。H-IIAロケットの膨大な運用経験はH3ロケットに全て注ぎ込まれ、未来へと繋がりました。

H-IIA試験機1号機打上げ前のロケットシンポジウムpart1

H-IIA試験機1号機打上げ後のロケットシンポジウムpart2

当時作成した資料の一例