COLUMN ~私とH-IIAロケット~

東 伸幸
現所属:宇宙輸送技術部門 H3プロジェクトチーム
当時のH-IIA担当業務
2004年にJAXA1期生として入構し、種子島宇宙センター発射管制課に配属。その後2007年まで、3年間の種子島赴任中に地上設備保全やH-IIA7~12号機の6機の発射整備作業に携わり、8~12号機はLCDR(Launch Conductor:発射指揮者)として打上げチームを指揮しました。
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
私にとってH-IIAロケットは、ロケットの運用・開発や社会人としての仕事の基本を教えてくれた“師匠“のような存在です。
いまでこそ地上での整備作業中の不具合はかなり減りましたが、当時は運用初期フェーズだったため発射整備作業中に多くの不具合が発生し、日々不具合対応に明け暮れていました。 急遽チャーター機で交換用部品を取り寄せ、真夜中にロケットの中に入ってトラブルシュートをすることもありました。 体力的・精神的にもつらかったですが、ひとつひとつのタスクやトラブルに対応していくなかでロケットの“いろは”が身につきました。
JAXAや多くの関連メーカのメンバーで構成されている打上げチームでは、LCDR(発射指揮者)を担当させていただきました。 LCDRは発射整備作業の全作業のとりまとめを行い、発射(リフトオフ)までの作業を指揮します。 リフトオフの約270秒前に実質的な“発射ボタン”となる自動カウントダウンシーケンス開始の発令ボタンを押すのも役割のひとつです。 打ち上げの半日ほど前からは、ロケットから約500m離れた場所の地下12mにあるH-IIAロケット用の発射管制棟(通称、ブロックハウス(B/H))で作業指揮を始めますが、 打上げ時の総員待避範囲である射点から半径3km圏内にあるため、リフトオフの10時間ほど前から始まるターミナルカウントダウン作業にさしかかると安全上B/Hから出入りできなくなり、 打ち上げまで長時間隔離状態になります。そのため医師も常駐してくれています。 外界から物理的に隔離された環境での緊張感あふれる長丁場の打上げ業務でしたが、リアルタイムでニュースで流れることも多く、世間から注目される国家プロジェクトに携わっているという猛烈な現実感と使命感を実感し、 ここでの経験により社会人としても成長できました。
そんな思い出深いB/Hですが、H3ロケットでは発射管制棟が射点から半径3km圏外に新たに建設されたため、H-IIAとともに退役することとなりました。H3では打上げ関係作業者が隔離されることもなくなり負担も軽減されています。
種子島を離れた後、私は筑波宇宙センターでH-IIAロケットのコンポーネント改良開発や高度化開発、さらにはH-IIB・イプシロン・H3などの新型ロケット開発に従事しましたが、 種子島での経験は、運用まで考慮したロケットの設計や巨大チームのプロジェクトマネジメントという観点で活かされています。
師匠の偉大な教えを次世代のロケットにしっかりと引き継ぎ、安全確実な日本の宇宙輸送を支えていきたいと思います。


H-IIAとともに退役する発射管制棟(通称ブロックハウス(B/H))

B/HのLCDR卓にて(2007年)