COLUMN ~私とH-IIAロケット~

原島 治
現所属:チーフエンジニア室 輸送系独立評価チーム
当時のH-IIA担当業務
H-IIAロケットの開発当時から飛行安全に関するシステム開発、基準の整備、打上げ運用等の実施。
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
H-IIまでの飛行安全管制は事前解析で設定した指令破壊/推力停止の限界線を飛行中断の判断基準としていましたが、
多様な飛行経路に対応するためH-IIAでは実時間で機体の破片分散域を計算し管制画面に視覚化して表示させ、
機体の動作状況を示すテレメトリも管制画面にグラフィックで表示させる現在のスタイルに大きく変化させました。
(それまでは、ペンレコーダを用いて各チャンネルのスケールも校正カーブを参照して手書きで作成していました。)
また、当時NASDAとしてH-II・8号機での初めての指令破壊の経験を踏まえ、今では当たり前となっていますが、
各地上局が取得した追尾データを実時間で集約し、その結果を速報データ処理して迅速に提供できるようにしたのも大きな変革で、
これらの基本構成/機能はH3世代となった現在のシステムに引き継がれています。
その後、H-IIBでの第1段誘導カットオフ、第2段再突入、イプシロンでは第2段/3段分離可否判断といった飛行安全管制が必要となり、
管制手法と共にNASDA/JAXA独自の運用システムとして発展してきました。
しかしながら、H-IIA開発当時の計算機能力は今とは比較にならない程の性能の上、
単にハードウェア性能の問題だけでなく開発したアプリケーションの下層で動作している様々な基本ソフトウェアにおいて予期しない動きに悩まされ、
計算機サーバ同士を単にLANで結合するだけでも想定どおりに行かないことを思い知らされ、H-IIAの初号機では飛行中にシステムの片系が停止するという試練も経験し、
6号機での飛行中断に関連する一連の対応等を含めH-IIAと共に成長させていただきました。50号機の最終フライトは言葉には尽くせない様々な思い出と共に見届けたいと思います。