COLUMN ~私とH-IIAロケット~

藤田 猛
現所属:宇宙輸送技術部門 宇宙輸送技術統括

当時のH-IIA担当業務

試験機1号機から50号機まで、開発の担当であったり、打上げ現場の責任者であったり、いろいろな形ですべての打上に関わってきました。

最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ

約25年間50機の打上げ全てに関わってきましたが、忘れようにも忘れられないのは、自分が担当した固体ロケットの不具合で打上げに失敗した6号機のことです。 その時、射点近くの地下の発射管制室にいた私に電話がかかってきて、「ロケットから送られた映像では切り離されているはずの固体ロケットがくっついたままになっているけど、 一体どうなっているのか」との問い合わせでした。燃焼圧力のデータは正常なことが確認していたので、何が起きているのかとっさにはわからず、 そうこうしているうちに指令破壊したとの放送が入り、頭が真っ白になりました。その後は、失敗の原因究明と対策に奔走し、大変な日々が続きましたが、 打上げ再開に向けて関係者みんながひとつになって進んでいったことが、私にとっては大きな支えになりました。
6号機の失敗を受けて、直接的な技術の改善だけでなく、打上げの直前まで問題や異常はないか、全員がとことん突き詰めていくという意識文化が醸成されたと思います。 一度地上を離れてしまうと修理の出来ないロケットに、「だろう」とか「はずだ」は通用しない世界なので、最後まで本当に問題ないかを確認する姿勢が引き継がれて、 ここまで打上げ成功を続けて来られた理由の一つではないかと思います。
私が2度目の種子島赴任時に打上現場の長として率い、一緒に頑張ってくれた若手は今やH3ロケットやイプシロンロケットの開発・打上をはじめJAXAのプロジェクトで中心的な立場で活躍しています、 彼ら技術者にもその心得は引き継がれていて、これからもそれぞれの責務を果たし、ミッションの成功を続けて行ってくれることと思います。
日本の大型液体ロケットの歴史は米国からの技術導入により開発して打上げたN-Iロケットから始まっています。そのN-Iロケットの初号機が打上ったのが、1975年です。 それから50年、H-IIAロケットは50機もの打上げをこなし、日本の基幹ロケットとしてふさわしい活躍をしてくれました。有終の美を飾って、50-50を見事達成してくれると信じています。

打上現場でともに頑張った仲間