COLUMN ~私とH-IIAロケット~

名塚 太二
現所属:MHI 宇宙事業部 営業部 広報リーダー

当時のH-IIA担当業務

契約管理担当

最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ

開発の終盤であった1999年、H-IIA機体 担当として業務課に着任して以来の長い付き合いです。
そのH-IIAの打上げを現地種子島で観ること、事務系社員にとってそれはそれは特別なことでした。
当時はNASDA(現JAXA)が打上げを取り仕切る時代であり、当社は参画企業の1社としてNASDAから招待を受けた幹部だけが現地で打上げを視察できるというものでした。

では、わたしのような若手の事務系社員が現地で観るには?それは幹部の“カバン持ち”として同行するしかありませんでした。 カバン持ち役は1名。本当に狭き門でした。実際、2001年初号機打上げから、当社打上げ輸送サービスとしての打上げが始まる前の12号機までの間で、わたしが現地で観ることが出来たのはたった数回、2年に一度、そのチャンスが巡ってくるかどうかでした。 365日、寝ても覚めてもH-IIAのことが頭から離れないほど、どっぷり仕事をしていた主担当であってもこのぐらいしか現地で観ることの出来ない貴重な機会でした。

その特別な機会を初めていただけたのは、有難いことに2001年夏の初号機打上げでした。
無事成功したので、「鮮明に記憶に残って・・・」と言いたいところですが、覚えているのはキリキリと痛む胃の感覚、額や固く握りしめた拳から滴る何だか冷たい汗、目を瞑ってひたすら「たのむ、たのむ、たのむ・・・」と祈り続けたことだけ。 カウントダウンの音声、飛翔するロケットの眩い炎と轟音、周りの歓声などの記憶は全くゼロ・・・・・。成功を喜んだ記憶の有無も定かではない。今となってはちょっと寂しい記憶です。

長く業務課員として携わった後、打上げ渉外や打上げ広報といった形でもH-IIAに携わることができ、本当に恵まれたお付き合いだったと感じます。
多くの人に支えられ、いよいよ退役を迎えるH-IIAロケット。最終号機の打上げに携われる幸せに感謝し、今度こそ、その雄姿を目に焼き付けようと思います。ありがとう、H-IIA 。

こう見えていたはず のH-IIA 初号機打上げ

打上げ経過記者会見の司会者として