COLUMN ~私とH-IIAロケット~
虎野 吉彦
現所属:
研究開発部門 第四研究ユニット
当時のH-IIA担当業務
- 1996年~2000年 宇宙輸送システム本部 設備整備開発室でH-IIAロケット打上げ施設設備の開発とりまとめ
- 2004年~2005年 H-IIAプロジェクトサブマネージャとして RTF(Return to Flight)7号機のためのロケット機体改良をとりまとめ
- 2009年~2011年 HTVプロマネとしてH2Bの1号機及び2号機の打上げに参加
最終号機を迎えるH-IIAロケットへのメッセージ
- 1996年から2000年にかけて宇宙輸送システム本部の設備整備開発室に所属し、それまでのH-IIロケット用射点(ELA1)をH-IIAロケット用に増改修するとともに新射点(ELA2)などを新設したが、中でも多数機打上げに向けた2機同時整備やドーリによるVABから射座への移動は斬新だったと思っている。当時のライバルはARIANE SPACE社だったので、S/C(衛星)へのサービス用施設設備の充実に苦労した。
-
基幹システム本部LNGプロジェクトマネージャの時にH2Aの6号機が指令破壊され、RTF(Return to Flight)のためにH-IIAプロジェクトのサブマネージャとしてH-IIAプロジェクトへ呼ばれ、機体の設計変更のとりまとめを拝命したが、非常に多忙で午前様の日が多かった。JAXA内だけではなく宇宙開発委員会(当時)への説明や、役所調整が更に負担だった。
設計変更したRTFの7号機が成功したとたんに当時開発が難航していたHTVプロジェクトのマネージャに転身させられた(笑)。
- そのHTVもどうにか完成させて2009年のH-IIBロケット1号機によって打上げられた時には、両プロジェクトに関係した身としては感慨深いものがあった。打上げ時には運用管制主任としてRCCのS/C卓に座り、HTV準備完了のボタンを押した。
- かつてLCDRとしてN-IやN-IIロケットの発射ボタンを押していたころは、二桁の打上げを行った同一ロケットはなかった。それがこのH-IIAで二けたを達成し、しかも50号機とは素晴らしい成果だと思う。
- ロケットそのものの開発経験は残っているようだが、地上設備や射場系や運用経験についても体系的に残すべきだと思う。JAXAは完成までの過程は残すが、結果や運用経験についての総括が少ないように思う。