国産ロケットの系譜

ペンシルから始まった日本の固体ロケット

日本の固体ロケット開発は、東京大学生産技術研究所の故・糸川英夫が中心となって開発した「ペンシルロケット」から始まった。

ペンシルロケットは直径1.8cm、全⻑23cmというきわめて小さなもので、また当時の日本にはまだレーダーによるロケットの追跡技術もなかったため、水平に発射することで実験を行った。 1955年4月12日には公開発射実験を実施し、日本の固体ロケット開発、そして宇宙への挑戦は産声をあげた。

糸川英夫とペンシルロケット

その後、徐々にロケット技術を進歩させ、やがて宇宙空間にも到達。そして1970年に「L(ラムダ)-4S」ロケットによって、 日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功した。

その後、より大型の「M(ミュー)」シリーズによって、1970年代から2000年代にかけて、日本の宇宙科学は飛躍的な発展を遂げ、 X線天文学、宇宙プラズマ物理学、太陽物理学などにおいて数多くの成果を挙げた。

とくに、Mシリーズの最後のロケットとなった「M-V」ロケットは、輸送能力・制御能力などすべての点で、固体ロケットにおける世界最高の水準にあり、 世界のロケット技術において高く評価された。

日本初の人工衛星「おおすみ」を搭載した「L(ラムダ)-4S」ロケットの打ち上げ

米国からの技術導入から始まった日本の液体ロケット

ペンシルロケットから始まった固体ロケットの開発が進む一方、1960年代には、宇宙開発の実利用(衛星放送や気象衛星など)も進み、 日本もこの分野に乗り出すべく準備が進められ、1969年に宇宙開発事業団(NASDA)が設立された。

実利用衛星は静止軌道に投入されるものが多く、固体ロケットよりも打ち上げ能力、制御能力に優れた液体ロケットを開発することが求められた。 当初は国産で開発することも検討されたが、技術不足や、早期にロケットを開発する必要があったこともあり、米国からの技術導入を行うことを決定。 「N-I」ロケットに始まり、「N-II」、そして「H-I」と開発し、運用した。

この間、米国から技術を教わりつつも、日本独自の技術も研究・開発し、第2段エンジンなどに徐々に取り入れていった。

N-Iロケット1号機の打ち上げ

日本独自のロケットへ

そして1994年には、初の純国産液体ロケットとなる「H-II」ロケットの開発に成功。これまで米国に頼っていた第1段メインエンジンからすべて国産化するとともに、 ペンシルロケットに始まった日本の高い固体ロケット技術も組み合わせ、ついに日本は自立した大型ロケットを手にした。

その後、H-IIから信頼性の向上や低コスト化を図った「H-IIA」、宇宙ステーション補給機HTVを打ち上げるため打ち上げ能力を向上した「H-IIB」を開発。 さらに固体ロケットも、日本がもつ固体ロケット技術を受け継ぎつつ、低コスト化などを図った「イプシロン」を開発し、現在に至っている。

H3は、こうした日本がもつ固体・液体ロケットの歴史と伝統、そして自立性を受け継ぎ、さらに使いやすいロケットを目指して開発が行われている。

日本初の純国産大型ロケットH-IIの打ち上げ

液体酸素・液体水素ロケット

現在運用されているH-IIA、H-IIBの礎となった液体酸素・液体水素ロケットです。

日本の液体ロケットの開発の流れ

固体燃料ロケット

現在運用されているイプシロンロケットの礎となった固体燃焼ロケットです。

日本の固体ロケットの開発の流れ

©Japan Aerospace Exploration Agency