イプシロンを世界一のロケットへ
~少し高い目標を達成し続け、国際競争力を追求
イプシロンロケットプロジェクトマネージャ 井元 隆行

2013年に試験機の打ち上げに成功した新世代の固体燃料ロケット、イプシロン。2016年に打ち上げられた2号機からは強化型イプシロンに発展し、本格的な運用段階に入った。 これまでサブマネージャとしてイプシロンロケットの開発に携わり、2017年4月からプロジェクトマネージャを引き継いだ井元隆行氏に、これまでの仕事とこれからの仕事、イプシロンロケットの将来ついて、詳しく聞いた。

プロマネになる前から、全体を俯瞰して仕事をしてきた

―4月に森田教授からプロジェクトマネージャの仕事を引き継ぎました。どういう心境ですか

心境の変化は、正直言ってないです。なぜかと言いますと、29歳でH-IIAロケットの開発に携わってから、ずっと自分がプロマネ(プロジェクトマネージャ)のつもりで、全体を俯瞰して仕事をしてきたからです。 イプシロンロケットではサブマネ(サブマネージャ)という立場でしたが、今までずっとそういう心境で仕事をしてきたので、実際にプロマネになっても今までのやりかたを変えるつもりはありませんし、今後も継続してやっていくつもりです。

―イプシロンロケットのプロジェクトマネージャの仕事はどういったことをするのですか。

大きく分けて2つあります。ひとつはイプシロンロケットの打ち上げですね。今まで試験機、2号機と打ち上げてきたのですが、今年度は3号機の打ち上げ、来年度は4号機と引き続き打ち上げるので、そのための準備をしています。 例えば機体の製造、設備の整備や射場作業など、そういったものを統括する仕事です。
もうひとつは、イプシロンロケットを更に良くしていこうという研究開発です。国際競争力を一段と高めるにはどうすればよいかといった研究を統括しています。

―仕事をする上で心がけていることはありますか。

まず、少し高い目標を持つことを心がけています。全然手の届かない無謀な目標ではなく、やれば出来るような簡単な目標でもなくて、ある程度背伸びをして頑張れば届きそうな目標を色々な場面で設定しています。 例えば今話をした、国際競争力を持つロケットにしたいという具体的なものであったり、日々の業務の中、もしくは私生活でも、ありきたりの目標ではなくて、少し高い目標を持つことを意識しています。 M-V(ミュー・ファイブ)ロケットは、JAXAの前身のひとつであるISAS(宇宙科学研究所)が固体ロケットとしては性能を世界一にすることを目指して開発した固体ロケットです。 この技術を受け継いだイプシロンも世界一を目標に開発がスタートし、試験機である1号機、強化型である2号機と特定の側面ではその目標を達成しました。 今後は国際競争力を持つライバルに対してもイプシロンの強みを活かして、この達成の範囲を更に広げていきます。これが1つめです。

2つめは、私たちJAXA、関連する企業の皆さんも、高い能力を持っている専門家集団です。こうしたメンバーの意見をできるだけ多く日々の業務に反映し、ロケットに注入していくことが重要だと思っています。 ロケット開発は非常に困難なチャレンジなので、ひとりひとりが自分のロケットだという気持ちで、情熱を持って、ロケットに魂を込めてもらいたいです。

3つめは、正確な判断を早くすることを心掛けています。私が間違った判断をすれば、みんなが間違った方向へ進んでしまう恐れがあります。プロマネとして正しい判断をして、みんなを正しい方向に導いて行くことが重要だと思います。 また、私が判断を保留していると仕事が滞ってしまいますので、正しい判断をできるだけ早く下し、仕事を回していくことが重要だと考えています。日々の生活でも、頭の回転を速くするにはどうすればいいのかと考えながら過ごしています。

ヤマトやスターウォーズの影響で宇宙の仕事へ

―宇宙を志したきっかけは何でしたか。

アニメや映画ですね。小学生のときに宇宙戦艦ヤマトとスターウォーズ、銀河鉄道999を見て、宇宙はいいなと。単純ですから(笑)。 たとえば宇宙戦艦ヤマトですと、地球を守るために命をかけてイスカンダルを目指し、いろんな問題を解決しデスラーと戦いつつ目的を達成する。 スターウォーズはエピソード4(最初の作品)の時代ですけど、宇宙空間を自由に行ったり来たり、仲間を守るために巨大な帝国軍と命をかけて戦うとか、そういうのを見て宇宙っていいな、宇宙の仕事をしたいなと思っていました。

学校では数学や物理が得意でしたし、自分の特性を活かして宇宙の仕事をするにはどうすれば近道かと考え、航空工学を学ぼうと、家から一番近い九州大学に進学しました。1年からの同級生に若田光一(JAXA宇宙飛行士)がいました。 航空工学科の同級生は24人で、4年生になると6つの研究室に分かれるのですが、若田とは同じ研究室で、2人で同じ部屋で研究をしていました。一緒にソフトボールしたり、駅伝大会に出たり、酒を飲みに行ったりしていました。

―希望がかなって、宇宙の仕事に就けたのですね。

NASDA(宇宙開発事業団、JAXAの前身のひとつ)に入社してからは、H-IIロケットの第一段エンジン「LE-7」や第二段エンジン「LE-5A」の開発を担当していました。 29歳のとき、直属の上司から「今から新しいロケットをやる。ロケットのシステム全体を30歳前後のやつに任せたい。おめぇ、やるか?」と言われました。 エンジンだけでなくロケット全体の仕事をしたいと考えていたので、「やりたいです」と即答しました。これがH-IIAロケットの開発です。

―H-IIAロケットの開発中はどんな気持ちで仕事をしていましたか。

H-IIAロケットがまだ何も無いところから、H-IIA試験機1号機と試験機2号機の打ち上げまで担当したのですが、最初は全く何もわからず、これから何をやろうという状況下で自ら勉強することから始めました。 H-IIAロケットの開発中にはH-IIロケットが2機連続で失敗して、その原因究明の仕事もありました。 H-IIロケットは製造中の1機が残っていたのですが、それを打ち上げるのはもうやめて、H-IIAロケットの開発に全力を注入することになったため、絶対に失敗できないという状況に追い込まれました。 朝から夜中までずっとH-IIAの開発に没頭して、「H-IIAは俺のロケットだ」という気持ちで全力投球していました。

このような気持ちで開発を進めていたので、H-IIA試験機の打ち上げが成功したときは、とても嬉しかったです。ああ、ロケット行っちゃったなあ、という脱力感も大きかったですけど。

JAXA誕生、ISASと旧NASDAのメンバーが結集

―旧2機関のロケット技術が合流して、イプシロンロケットが誕生しました。

最初はイプシロンのことを「次期固体ロケット」と呼んでいましたが、森田教授(初代プロマネ)と私と数人で、次はどういうロケットにするか何も決まっていないところから研究を始めました。
一つ前のM-Vロケットを終了させると決めたとき、固体ロケットの開発はこれで終わりということではなく、新たな固体ロケットをやるから終わるんだと。 では「誰がやるのか?」と考えたとき、M-Vロケットのプロマネであった森田教授が引き続き担当することになったのですが、あと6~7人ほどメンバーを集めることになりました。 当時のロケット担当理事から私に「新たな固体ロケットをやろうと思うけど、やる気あるか?」と言われました。H-IIAの開発で上司に声を掛けられたときと似た感じで、私の経験を活かせるかもしれないと思い、「やります」と答えました。

―ISASが中心となり進めてきたロケット開発に加わるには、苦労はありましたか。

旧2機関のメンバー半々ぐらいで始まりましたが、M-Vロケットを開発してきたISASの方々から見ると、旧NASDAメンバーのことは何者かよく分からないところがあったと思います。 ただ、私たちはこれまでの固体ロケットの系譜を絶ってはいけない、これまで固体ロケットに携わった人たちのために、固体ロケットの今後のためにやりたいという思いがありました。 口では直接言いませんけど、あなたたちの仲間だという気持ちで接していくと、最初は何かよくわからない異分子みたいな存在でぎこちないところもありましたが、徐々にうまく打ち解けてきました。 それはお互い、やっぱりロケットが好きという根本的な共通点があったからですかね。良いロケットを作りたいという暗黙の了解の元、すーっとうまく入っていけたんだと思います。

―ISAS流のロケット開発に触れて、これまでと違うな、面白いなというところはありましたか。

私はもともとロケットシステム全体を見る立場で仕事をしてきたので、H-IIAでやってきたその手法を固体ロケットにも適用しました。 なので、比較的すんなりといいますか、任せるところは任せて、私がやるべきことは今までと同様のやり方で進めました。

ただ、サブシステム関してはなかなか分からないところもありました。ISASは、なんと言っても教授や准教授、助教といった専門家が各分野いますから安心して任せました。 サブシステムが強く、それぞれの分野を専門的に深く研究している先生がいて、それらを組み合わせるイメージですね。

―旧NASDA流も活かすことができましたか。

旧NASDAはどちらかというと、システム全体を見る人が物事を決めていくのが特徴です。また専門外の分野も広く理解していて取りまとめに慣れているという点もありました。 また電子機器はH-IIAで開発したものを適用しましたので、そうしたサブシステムの技術者が能力を発揮しました。

お互いに分からないところを教え合って補完する良い関係が築けたのではないかと思います。 どちらが良いということではなく、バランスです。それぞれに自負があって、ここは曲げられないというところもありましたが、うまく話ができる環境だったのは凄く良かったですね。

試験機打ち上げ中止、応援に支えられた再チャレンジ

―2010年にイプシロンロケットの開発が正式にスタートしました。

イプシロンロケットは、研究が国に認められ開発に移行するまで非常に長く期間がかかり、ようやく認められてからは3年という短い期間で開発することになりました。 短い期間での開発なので、最後のほうに皺寄せがき4す。普通は開発をきちっと終わらせてから初号機の射場作業やロケットの組立に入りますが、イプシロンは射場作業と並行して、まだ開発を進めていました。

―万全の準備を整えて内之浦へ持ち込んだわけではなかったのですね。

はい。射場作業も、内之浦で最後にM-Vロケットを打ち上げてからかなりの時間が空いていましたから慣れないこともありますし、初めての作業もあります。現場で作業しながら次の計画を作り、工場ではまだ開発も並行してやっている状態でした。

イプシロン試験機は当初、2013年8月27日、快晴で絶好の打ち上げ日だったのですが、打ち上げ19秒前で止まってしまいました。 管制室の画面に止まった理由が表示されるのですが、それを見た瞬間に「しまった!」と。全体としては何千、何万という確認をしていましたが、本当に1つだけ、確認していなかったところで起きてしまいました。

―たったひとつの見落としで打ち上げが止まるとは、恐ろしいですね。

はい。そういうのがロケットの世界なので。H-IIAは百万点、イプシロンは数十万点の部品がありまして冗長性と言って、ひとつの部品が壊れても大丈夫なところもありますが、ひとつが壊れると打ち上げ失敗につながる部品もあります。 そうなると、それまでに携わってきた人たちの苦労が水の泡になる、と言い過ぎかもしれませんが、それくらい大変なことになります。

どれほど多くのことを考えても、一つでも考えていないことがあると失敗する可能性があります。だから、帰宅して風呂に入っていても食事をしていても、寝ているときでも、あそこは大丈夫かとか常に頭に浮かんでしまいます。 家族から「また仕事の顔になっている」と言われたこともあります。

―多くの注目を浴びた中での打ち上げ中止でした。

テレビを見たら、内之浦まで来てくれた子供が、打ち上げを見られなかったと言って泣いていました。「申し訳ない、私の責任だ」と。絶好の打ち上げ日和を逃したこともあり、もう、すごく落ち込みました。

イプシロンロケットはたくさんの方々に応援を頂きまして、次に成功させればいいじゃないか、がんばれ、といった声もインターネットやメールや、いろんなところから聞こえてきました。 そういう方々に支えられて「よし、もう一度がんばろう」と気力を振り絞り、みんなと共に頑張りました。H-IIAでは「俺のロケット」だと思ってやっていましたが、イプシロンでは「みんなのロケット」だと思ってやっていましたね。

―再点検して、見事に打ち上げ成功しましたね。

8月27日の打ち上げ中止から新たな打ち上げ日である9月14日まで2週間ちょっとの間、再点検をしました。3日前の9月10日の朝にデータの評価が終わりましたが、これで本当に全てを網羅できているのか、全部点検できているのか?と改めて私は思いました。 約1,000項目ありますが、もう一度点検しようと提案したらみんな納得して、「よし、やろう」と言ってくれました。昼からはみんな寝て、データを処理する人は夜の12時から、データを評価する人は午前2時頃に出勤して作業にあたりました。 朝10時から最終確認審査という、打ち上げの準備が整っているかを確認する会議があり、その開始時点で再点検は9割5分くらい終わっていましたが、一部残っていました。私はその会議の直前まで点検し、その後、会議でロケット系の準備状況を報告していました。 並行して点検していたメンバーから、11時頃に「全ての項目で点検が終わりました。問題ありません」と電話で知らせを受け、その会議の場で「ロケットは準備完了です」と報告することができました。

困難を乗り越えた打ち上げは最高の喜び

―ロケットを開発する難しさはどんなところですか。

イプシロンに限らずロケット開発に共通するものですが、やはり高度な専門知識が必要で、関係者がたくさんいるため、自分の意思を正しく伝える必要があります。分かりやすい言葉を使うなどして誤解のない言い方を心がけています。

また様々な設計・製造・試験をずっと並行して進めていますので、日々いろいろな問題が起きます。それらは当然、専門家に解決してもらいますが、私の考えでは、ただ人任せにするのでは駄目だと思っています。 どういう事象が発生して、何が原因で、どう対策すればいいのか、全てを把握するには高度な専門知識が必要になるので難しいですね。

―万全の準備を整えて内之浦へ持ち込んだわけではなかったのですね。

はい。射場作業も、内之浦で最後にM-Vロケットを打ち上げてからかなりの時間が空いていましたから慣れないこともありますし、初めての作業もあります。現場で作業しながら次の計画を作り、工場ではまだ開発も並行してやっている状態でした。

一番重要なことは、問題を発見することなのかなと思います。問題があるかもしれないと常に思いつつ仕事をして、失敗を未然に防がないといけません。 地上と宇宙の環境は違いますので、地上でいくら試験を重ねても、実際のフライトでは想定しない事象が発生することがあります。 そうした事情の中でどこかに問題はないか、どこを確認しないといけないのか、と考えれば限りない。そうした見極め方がやっぱり難しいところです。

―大変な話ばかりですが、それでもロケットの仕事は楽しいですか?

楽しいです。例えば試験がひとつ成功したとか、そういう日々の楽しみもありますが、みんなで苦労を乗り越えて打ち上げが成功したときの喜びは、次元が違います。 本当の喜びとは何なのかと考えたとき、困難やチャレンジを乗り越えて成功したときの喜びは何物にも代えがたいです。

H-IIAロケット試験機1号機では、娘たちが種子島へ打ち上げを見に来てくれました。「お父さんのロケットはどうだった?」と聞くと「お父さんのロケットはきれいだった」と言ってくれました。 自分の魂を込めて打ち上げたロケットを娘がきれいだと言ってくれたこと、今でも忘れません。ものすごく嬉しかったです。

H-IIAのときは喜びと同時に脱力感もありましたが、イプシロン試験機が打ち上がったときには涙が出ました。ほっとしたのか、きつかったのか、嬉しかったのか、何だかよく分かりませんけど仕事で初めて涙が出ました。

世界一を目指して進化を続けるイプシロンロケット

―イプシロンロケットは世界一を目指してきましたね。

固体ロケットは液体ロケットと比べると、作りがシンプルで打ち上げ設備もコンパクトにできます。更に運用性の良さを世界一にしようと頑張ってきました。 例えば打ち上げの何時間前までペイロード(人工衛星)にアクセスができるか、これをレイトアクセスと言うのですが、今のイプシロンでは3時間前までで、世界一になっていると思います。

もうひとつは人工衛星が受ける音や振動をなるべく抑え、人工衛星にとって「やさしい環境」を作っています。 数値流体解析(空気の流れをコンピューターによりシミュレーションする技術)を用い、秋田県の能代実験場でいろんな試験を繰り返して、ロケットから地面に跳ね返る音を小さくする打ち上げ設備を作ってもらいました。
またロケット自体の振動も小さくしましたし、ロケットから人工衛星に伝わる振動を減らす制振機構を付与し、人工衛星に与える振動もかなり小さくなりました。

―今年度は3号機が打ち上げ予定ですね。

3号機ではロケットから人工衛星を分離する際の衝撃を抑える工夫をしています。ただこれは、残念ながら実際の打ち上げでデータを確認することができません。 地上での試験では世界一小さな衝撃になっていることを確認していますので、後はきちんと宇宙で作動することを確認するだけです。

―4号機でも改良する点はありますか。

今のイプシロンロケットは1機のロケットで1つの人工衛星しか打ち上げられないのですが、来年度打ち上げ予定の4号機では複数の人工衛星を打ち上げられるようにします。

複数の人工衛星を1個1個、丁寧に分離しないといけませんので、搭載する機構や分離の電気信号を送るシステムなどの開発を行っています。 こうした技術が確立できると、今まで1機の衛星しか打ち上げられなかったイプシロンロケットとは次元の違うところ、ひとつ次元がアップしたより良いロケットになると考えています。

―H3ロケットとのシナジー対応もありますね。

2020年度の打ち上げを目指して開発中のH3ロケットと技術を共通化し、お互いに高めていくような相乗効果(シナジー)を発揮する研究開発を進めています。 もともとイプシロンロケットはH-IIAロケットと部品を共通化しているのですが、今後H-IIAロケットからH3ロケットに変わると供給できなくなる部品に対して切れ目なく対応しつつ、日本の基幹ロケットの間で互いに良いロケットにしていこうというものです。 イプシロンロケットは3段式ロケットですが、現在の第1段はH-IIAロケットのSRB-A(固体ロケットブースター)と共通なので、これをH3ロケットのSRB-3に換えます。

また電子機器もH3とできるだけ共通化すべく研究を進めています。運用性をより向上させるために、点検の自動化といった点も更に推し進めていきます。

―更に先のイプシロンロケットも考えているのですか。

国際競争力をより一層高めていきたいと考えています。今のイプシロンロケットの強みと弱み、良い点と悪い点を考えて、良い点は更に伸ばす。 悪い点は、改善していく必要があります。少し高い目標を立てて、それぞれに対してどう改良をすれば良いかと考えて努力していきます。 例えばコストの面では世界的に見ると若干劣っているところがありますので、今後世界レベルへ持って行くなどです。

応援の力で、さらに高い目標を成し遂げる

―最後に読者の皆さんへのメッセージをお願いします。

イプシロンロケットを応援して下さっている皆さんには、物凄く感謝しています。試験機の打ち上げの話でも触れましたが、応援して頂いている皆さんのおかげで頑張れているところもあります。 応援して頂いている皆さんの声は我々のところにちゃんと届いています。これまでの打ち上げでは、皆さんからお送り頂いた応援メッセージをロケット機体に貼り付けて、宇宙へ飛ばしました。 応援してくださる皆さんのためにも、より良いロケットを追求していきますので、引き続き応援をよろしくお願いします。

取材日 2017年6月

プロフィール

井元 隆行(いもと・たかゆき)
JAXA第一宇宙技術部門 イプシロンロケットプロジェクトマネージャ
九州大学大学院工学研究科応用力学専攻修了。 1989年、宇宙開発事業団(現JAXA)に入社し、H-IIロケットのエンジン・推進系の開発に従事。 H-IIAロケットの開発取りまとめを担当した後、イプシロンロケットのプロジェクトチームへ。 イプシロンの研究開始当初から開発の取りまとめを担当。

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